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| いつも心に神様を!! | 18・5・26 |
| 厄年について | 18・1・30 |
| 初詣・縁起の良い時間帯は?? | 17・12・7 |
| 家相は迷信か?? | 17・7・11 |
| 恵方巻と歳徳神 | 17・2・20 |
| 七五三についての提言 | 16・10・20 |
| 私見 神仏の違い | 16・9・5 |
| 近頃のお子様 | 15・8・27 |
| 笑門来福 | 15・5・21 |
| どんと祭について | 15・3・9 |
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自身を律するためには信仰が必要です。 平成18年5月26日 最近、なにかと物騒な事件が多いようです。「カケラ程の良心も持っていないのではないか」と疑いたくなるような凶悪な犯罪が毎日のように報道されています。また、某建築士さんを始めとして、コマーシャルに犬を出していた所など「カネのためなら、手段を選ばない」という連中も増えてきているような気がします。 この人達に言える事は、すなわち「良心の欠如」という事なのでしょうが、良心が全く無いという極悪人ではないでしょう。「鬼」や「悪魔」に例えられる本当の悪人というのはかなり稀です。悪事をなす人でも、「カケラ程の良心」持ち合わせているはずです。でも、「ほんの小さな良心」だけでは、「甘い悪魔のささやき」から逃れるのはかなり難しいのではないでしょうか。 そこで「悪魔のささやき」を退け、良心を強くする方法。それは正しい信仰を持つ事です。心の中に「神をおまつりする」事です。「いつも神様が見ておいでになる。」という思いは良心を大きく大きく育てることになります。別に神でなくとも仏でもかまわいません。(個人的見解) 心を支配しようという「カルト」でさえなければ。 こうして見ると「宗教は阿片である」として宗教を認めない国々は国家的な犯罪が多いようです。他国の人の拉致、ニセ札作り、覚せい剤密輸をする国。自国内の異民族を迫害、抹殺しようとする国など、「良心の欠如」だけでは済まされないような事件が多々あります。共産主義自体がカルトであるという説もありますが。 世界には「無宗教の人」=「危険人物」と考える人々がかなりの割合で存在します。正しい信仰を広める事は社会正義の実現にもつながる事でしょう。どうぞあなたも、心の中に神様に住んでもらいましょう。 |
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もしかして1年早くやってしまっているかも ? ? 厄年は災難・病気・怪我などが多い年とされ、男性は25歳・42歳、女性は19歳・33歳というのが広く全国的に行われています。他の年齢については地方によって差があり、当地域で行われている男女共通の49歳・55歳は他地域では一般的ではなく、逆に女性の37歳は当地域ではあまり行われません。
厄年の起源は平安時代の陰陽道とされ、江戸時代には現在の様なかたちになったと言われています。古くは「厄=役」で神事における重要な役を務める歳であり、その際に神前に祈った事が今日の「厄払い」のもとであるとも言われます。
![]() ところで当地域では、中学校の同級生単位で団体で厄除け祈願を行う事が一般的ですが、その際の注意をひとつ。早生まれ(1・2・3月うまれ)の方は1年早く(すなわち前厄)行っている事になりますので注意。同じ学年だから厄年も一緒だろうと、お考えの方が多いようですが、学年分けが4月からとなったのは厄年が定着した時代よりずっと後の事です。早生まれの方は、「安心するのはまだ早い。本番はこれから。」となりますので特に注意してください。
特に大厄といわれる男性42歳・女性33歳や男25歳・女19歳については、多少の個人差はありますが医学的に見ても体調に変化が出やすい時期だそうですので、前後3年(前厄・本厄・後厄)はしっかり注意しましょう。
厄年は人生の節目です。竹の「節」は工作などの際、加工しにくく邪魔にされますが、竹は「節」があるために風雨や豪雪に耐えてしっかり立っていられるのです。厄年も人生の中では厄介な時期ですが、厄年を乗り切った事が竹の「節」のように今後の人生に一段と強さを加えてくれる事でしょう。
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と、いう質問をいただきました。答。やっぱり朝(午前中)だろうなと。祝詞(のりと)の中に「朝日の豊栄のぼり(あさひのとよさかのぼり)」という言葉があります。昇る朝日はこれから豊に栄えてゆく象徴なのです。昔から「元朝まいり(がんちょうまいり)」という言葉があるくらいなので、午前中がおすすめです。別に午後が悪いわけではありませんが、縁起が良いのはやっぱり午前中だという事。ちなみに祝詞では「夕日の降(くだち)」という言葉がありますので念のため。
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「ニ年参り」と称して、大晦日の晩から元旦の早朝にお参りする方も多いようですが、これは一年の最後に今年一年間のご加護を感謝し、そののちに新たな年に一層のご加護をお祈りするものです。とても丁寧な参拝方法なので、試した事の無い方は一度どうぞ。
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以前も書いたような気がしますが、大晦日の夕方からと、元日の夜は出歩かない方が良いでしょう。お歳神様は大晦日の夜においでになると言われています。大晦日の夕方からは、神様をお迎えするのにふさわしいように身を慎んでお歳神様をお迎えするようにします。それでは元日の夜は??・・・・・・・・・ かくし芸大会じゃなかった、初夢をみなくては・・・・・
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岩手県神社庁刊行の暦には、単に吉か凶かしか書いてないので、私などには物足りない感じが致しますが、暦によっては「○方の便所、家業衰退し、散財の相なり・・・云々」とか「○方に水まわりあれば、火難、病難多く・・・・云々」というように、いかにもおどろおどろしい記述があるものがあります。家の間取りが即、具体的な不幸につながっていますので、科学的な根拠に欠けるとして「家相などという物は単なる迷信」と思ってしまうのは当然の事かもしれません。
![]() では、家相は全くのでたらめなのでしょうか。家相は膨大な事例を分析して出来上がった、「最先端の科学」として昔の人々には認識されていました。そのために、「主人が若死」とか「家内に紛争絶えず」という事は無いにしても、現代でも十分に通用する所が多くあります。
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例えば「鬼門・裏鬼門」ですが、これは家相において最も重視する箇所で便所、水関係などは大凶とされています。鬼門(北東)は陰の気が最も強い方位(最も寒くなる方位)、裏鬼門(南西)は陽の気が最も強い方位(最も暑くなる方位)ですので、衛生状態や家の設備が良くなかった時代に、鬼門や裏鬼門に便所、水関係を配置したら良くないのは明らかです。他にも
などなど、納得できる所が少なくありません。建築技術や住宅設備の進歩によって家相における「凶相」の程度は弱められているとは思いますが、「北側の玄関」よりも「南側の玄関」の方が使いやすく、現代になっても
「吉相」とされる家の方が住みやすいのは事実です。新築をお考えの方は、最低限大凶とされる配置を避けて設計される事を強くおすすめします。
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ここ数年、節分になると「恵方巻」なる太いのり巻きを食べる行事が全国的に広まってきています。もともと、関西の風習のようですが、商魂たくましい「海苔屋さん」の活発な宣伝、そしてスーパー、コンビニ、寿司屋と関係業界一丸となった販売活動によって爆発的人気??です。イベント好きな日本人にとって「まつりのタネ」が増える事は大歓迎なのではないでしょうか。
また、そのイベントで、うるおう業界が多ければ多い程、あっという間に全国に広がっていくようです。クリスマス、バレンタインなどがその良い例でしょう。ですが、とても残念な事に
行事本来の意味が、商売に都合のいいように変えられてしまう事が多々ある事も事実です。
![]() 話は「恵方巻」に戻りますが、そもそも「恵方巻」の「恵方」とはなんでしょうか。「恵方」とは「歳徳」とも「あきのかた」とも言い、一年を通じて何に用いても良い吉方とされ、「歳徳神」がいらっしゃる方向とされます。そして、この方向はその年の十干によって決まります。
今年(平成19年)は丁亥なので壬の方、来年(平成20年)は戊子なので丙の方となりますが、元々の意味は
新しい年をもたらす「歳神様」がおこしになる方向とされています。
![]() まあ、「何に用いても良い吉方」ですから、無言で太巻を食べても差し支えないわけですが・・・・・。でも、単に太巻きを食べる事が「歳徳神(歳神様)」のご加護を得る事につながるのか疑問です。「自分だけ食いやがって。」と思われても仕方ないのでは。
今年の節分に恵方に向かって太巻を食べても運が開けなかった方に
オ・ス・ス・メ!!。お正月に「歳神様」をきちんとまつってください。最近、「歳神様」の本来のまつり方が廃れてきています。本来は
とされています。そして、大晦日は「歳神様」をお迎えするために身を慎む日です。大掃除や正月用品の買出しなどで、ドタバタと過ごす日ではありません。正月準備は早めに終わらせて、少なくとも大晦日の午後くらいは家で静かに過ごしましょう。(10年程前までは、大晦日の夕方に出歩く人はずっと少なかったような・・って、なんで知ってるの??)
きちんと「歳神様」をお迎えすれば、開運間違いなし。他の家がイイカゲンにやっているので、あなたの家に「歳神様」が福徳を授けてくれる確率は非常に高いと言えます。歳神様」のまつり方は下をクリックしてください。
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秋も深まってきて、これから七五三詣でを計画している方もいらっしゃるのではないでしょうか。受け入れる側から見て気づいた点をいくつか書いてみたいとおもいます。
うちのような田舎の小さな神社でも、お宮をバックに写真だけ撮って帰る方がたまにいらっしゃいます。聞くところによると、写真屋さんや衣装屋さんのなかにも
「七五三はキレイな着物を着て、写真を撮れば充分。神社なんか行く必要はない。」とお客さんに言う方もいるとかで、全く本末転倒も甚だしい限りです。
七五三は、「こどもが心身ともに健康に成長することを祈る。」予祝的行事であり、けっして着飾って写真を撮る行事ではありません。大概の日本人にとって「祈願」する場所は神社ですので、神社にお参りしてこどもの無事を祈るのは至極当然なことなのです。ですから、せっかく神社に来たのに参拝もしないで帰ってしまうのは、七五三という行事をやった事にはなりません。そしてさらに、昇殿参拝(正式参拝・ご祈祷)は、一段とていねいな参拝方法なので、行う方が多いというわけです。
繰り返しますが、七五三の目的はあくまでも「こどもが心身ともに健康に成長することを祈る。」ことです。晴れ着もご神前という「ハレの場所」に出るために着るものだから晴れ着なのです。
三歳のお子さん多いのですが、ご祈願の最中に泣き出す子がいます。知らない所に来て、見慣れない格好をした人が出てくるのですから当然と言えば当然。いきなり鳴った太鼓の音に更にびっくり。・・・・・というわけで当社の宮司などは、こどもたちに太鼓を叩かせて遊ばせてからご祈願をしているようです。
三歳のお子さんの七五三詣でを予定している方は、是非とも下見を兼ねて神社へお運びください。お子さんも何度か行った事がある場所ならば安心するはずです。行ったついでにお子さんに参拝の仕方を教えてあげてください。情操教育にも役立ちますよ。
朝○時に起されて、美容院、写真館、神社と売れっ子芸能人なみの日程をこなして、最後に着物を着たままでお食事会・・・・・。小さいお子さんはクタクタです。着慣れない着物ですから一刻も早く楽な格好にさせてあげてください。
場合によっては、着物を着て写真を撮る日と神社に参拝する日を分けることも可です。なにも「赤いべべ」だけが「晴れ着」ではありませんので、神社参拝の際には着慣れた洋装でもかまわないのです。もっとも結婚式の場合などは「前撮り」が普通だとか。
ご祈願の最中に眠っている子、よくいます。
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たまーーに、神と仏ではどこが違うのかと尋ねられることがあります。だいたい酒席での場合が多いので、「漆や金で派手なのが仏、白木で地味なのが神」とか「魚や酒をお供えしてもいいのが神、ダメなのが仏」などと、割にイイカゲンな答でその場はごまかしておりますが、本日は自分なりに真面目に考えてみたいと思います。もとより仏教についてはわかっているはずもなく、あくまでも「私見」ということにさせていただきます。
神と仏の違い、即ち「神道と仏教の違い」ということになると思いますが、普通の日本人にとってお寺は「死んでから世話になるところ」で神社は「生きている人が行くところ」と割にはっきり分けられているのではないでしょうか。お寺の中にも「生きている人が行くところ」が多々ありますが、そのようなお寺は表立って葬儀をやっているようには見えません。そして、このあたりの事がひとつの鍵となりそうです。
この「普通の日本人が認識している神と仏の違い」は、両者の根本的な違いを最も明らかな形で表しているものと考えます。すなわち、人間の世(現世)に対する評価が、神道と仏教では正反対なのです。
最大の違いはこれではないでしょうか。
仏教の開祖お釈迦さまは現世は文字通り四苦八苦の世界であり、そのままでは永遠に六道(天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄)を輪廻して救われる事は無く、悟りを開いて解脱しなければならないと説きました。いまや様々な宗派がありますが、現世を迷いに満ちた世界として悟りを開く事を目的とするのは全て一緒です。方法や過程が異なるために多くの宗派が生まれてきたという事です。ですから現世肯定的な宗派というのお釈迦さまの教えに反しているので、本来の仏教異なると言えるでしょう。
かたや神道では現世に対して肯定的ですから、どうしても現世利益(商売繁盛、家内安全・・・・・)を重視することとなります。そして「足りない分は神様にお願いしよう」ということになり、現世での幸せが追求されます。「豊作でありますように」「災害や病気にあわないように」そういった願いは全ての人共通のものなので、全ての人が幸せになれるように、この様な事を願って神社のお祭りがおこなわれてきました。
卑近な例ですが、「最新モデルのパソコンを買おうとしたけれど少しお金が足りかった。」こんな状況での対応の違いで両者の違いがはっきりするのではないかと思います。
いずれにしろ日本人が生者=神道、死者=仏教と使い分けをしているのは、誠に道理にかなっている訳で、頑迷な一神教の立場から考えると、理解出来ないのでは・・・。
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「笑う門には福が来る」ということで、明るい人は他人から見ても幸せそうに見えますし、まわりから好感を持たれたりして何かと有利な事が多いようです。人間の心情として、仏頂面のヤツよりも、いつもニコニコ笑顔の人の方に好感を持つのが当然でありましょう。
「どんなに苦しいときも君は笑っているから・・・」どっかで聞いたような言葉です。いつも笑っていると「頭のネジがゆるんでいるのではないか」と思われることもあるようですが、苦しいときこそ心に余裕がひつようです。笑えるくらいの余裕があれば、原因が何なのか余裕をもって考え、対処できるでしょう。深刻に考え、悲観し、追い詰められた余裕のない状態ではなかなかいい結論に至らないのではないでしょうか。
人間なら誰でも色々な「欲」があります。「思った通りにならない」「足りない少ない」といった満たされない欲が「苦しみ」や「つらさ」に変わります。全てが思い通りになる事などありえません。目標のレベルをほんの少し下げるだけで相当に苦しみから解放されます。欲望を少しだけ抑えてください。そして、自分が今あることを神様や祖先に感謝しましょう。感謝の心は、自分も周りも幸せにします。
苦しいときでも笑っていられるようになると、苦を苦と思わなくなります。苦しい事、つらい事に真正面からぶつかり、乗り越えて行くことができるようになります。泣いて過ごすも、笑って過ごすも一度の人生です。日々を明るく楽しく過ごしましょう。
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近頃、こどもが犯人の凶悪事件がヤケに多いと思いませんか?。私がこどものときも結構、悪いことやイタズラはしましたが、さすがに殺人や恐喝まではやりませんでした。(本当です。疑わないこと。)
政府では、悪質化する少年犯罪に対して一層厳しく罪が問えるように法改正する方向のようですが、法のみでこの状況が改善できるのでしょうか。
最近のこどもは努力と忍耐力に欠けるといわれています。要するに粘りと根性が足りないということです。粘りと根性が足りないのですぐ切れるのでしょう。(多分) 私事ながら家のこども達に登山に行こうと誘ったら、その答えは「疲れるからいやだ。」でした。私がこどもの時代には嬉々としてくっついて行ったものです。(単にバカだった?)学校のクラス登山も喜んで行く児童は珍しいとか。算数嫌いの子が増えているのも粘りと根性が足りないからだそうです。
そして、愛情の深い家庭に育ったこどもは、事件を起こす割合がかなり低いことが知られています。理想としては、父親がこどもを叱り、母親がそれをかばうような家庭がベストとの事。(どっかの家のようにカアチャンがこどもと一緒にオヤジをつるし上げるのは最悪)
これにより、こどもはバランスのとれた一人前の人間に育っていくのです。これに加えて両親や周囲の人々に対する愛情を育むことが実に大切になってきます。
で、世の中のお父さんへ!! 肉親や家庭に対する愛情を育むには、神棚や仏壇に家族そろって手を合わせる事がとても効果があります。神様やご先祖様がいらっしゃったことにより、お子さんがこの世の中に生を受け、今があるのだということを教えてあげてください。亡くなった方のいらっしゃらない家庭では普通、仏壇はありませんから、そんな家庭では是非とも神棚を設けてください。「神様はご先祖様とは関係ないだろ。」と言われるかもしれませんが、実はご先祖のご先祖のずーっとご先祖は神様なんですよ。
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なんで今頃どんと祭の話題かといいますと・・・・。あらためて皆さんに環境問題について考えていただきたいと思ったからです。
一時期、ダイオキシンの問題が取り沙汰されて、各神社で行われているどんと祭が目の仇にされた時期がありました。これに対して各神社は、お守りの素材から塩化ビニル系の樹脂を廃して、お焚き上げの際のダイオキシン排出を極力抑えるべく努力してまいりました。その後、ダイオキシンの問題はあまり語られなくなり、どんと祭も伝統行事として法律には規制されなくなり現在に至っています。
ところで、どんと祭でお焚き上げする物のほとんどが「お札」や「お守り」ではない事をご存知でしょうか。量にして八割以上がしめ縄などの正月飾りやお人形など出自が神社では無い物で占められています。そして、これらの物はダイオキシンを排出する原因となる物がかなりの割合で含まれているのです。市販の飾りつきのしめ縄にはいまだに塩ビの部品が使われている物が多々ありますし、塩ビでなくても「おもち、みかん」などの「生もの」は直接ダイオキシンを発出させませんが、燃焼温度を下げ、ダイオキシンの排出量を増加させます。
これら、ダイオキシン排出の元となる物については絶対にどんと祭にお納めにならぬようご協力をお願いします。特にしめ縄についてはどんと祭でお焚き上げするものですから材質に注意して紙製などをお求めください。「塩ビ」を使った製品が売れなくなれば業者も製造しなくなります。
「おもち」はお供えしたなら必ず食べるべきです。神前にお供えすることによって食物には神様の「みたま」が宿ります。食べるという事は、これを体の中に取り入れることによって神威を直接体内に取り込むことになるのです。神様のみたまの入ったものを食べることなく無駄にしてしまったりしたらどうなるか・・・・・・・。怖い怖い・・・・・?。
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